約20年前のことになります。
大学生の時に行った交換留学。
私が派遣されたのはキリスト教の中のバプテスト系の大学でした。
その大学に通う大学生のうち、私のような留学生以外は敬虔なクリスチャンでした。
日本人はほとんどの人が無宗教です。
八百万の神という言葉もあり、特定の神を強く信じている人は少ないと思います。
今日は私がアメリカで経験した宗教観の違いについて書いてみたいと思います。
留学生が集められたら、聖書を学ぶ “Bible study”が始まる
「ゲームをしたり、お菓子を食べたりする集まりがあるんだけど来ない?」
アメリカ人の友達に誘われ、私を含め、数人の留学生が参加した会がありました。
一緒に交換留学をした日本人の友達と参加したこの集まり、最初はゲームをしたり、アメリカの文化を教えてくれたり、お菓子を食べたりしていたのですが、途中から少し違ってきました。
「クリスチャンではないの?」
という質問をされ、違うと答えると、
「それなら何の宗教に入っているのか?」
と聞かれて、私が
「仏教や神教が日本にはあって考え方はそれに基づいているけれど、無宗教かな。。」
と答えると、クリスチャンにならないかと誘われたのです。
私は無宗教であることに満足していたので、どうしてクリスチャンがいいのかと聞いてみたところ、返ってきた答えは
「クリスチャンになれば天国へ行けるから。クリスチャンにならないと地獄へ行くことになる。クリスチャンになって一緒に天国へ行こう。」
でした。
私は一瞬ポカーンとしました( ゚д゚)
クリスチャンじゃないと天国へ行けないって本当に思っているの??!
ビックリしたけれど、彼らの目は真剣でした。
この広い広い世界、見えてないのかな。。。
もちろん、私だって死後の世界のことを見たことがあるわけではありません。
死語に天国や地獄があるのかどうかは生きている人には分からない世界のお話。
それを言い切ってしまうことにびっくりしました。
しかし、その理由も彼らと過ごすうちに見えてきたのです。
小さい頃からクリスチャンになることが当たり前の環境
敬虔なクリスチャンである友人たち。
本当にいい人ばかりです。
それは根底にキリスト教の教えである「隣人を愛せよ」という言葉があるからだと思います。
彼らの親切心に何度救われたことがあるか分かりません。
彼らは家族がもちろん敬虔なクリスチャンです。
そのため、みんな小さい頃から毎週日曜日には教会に行っています。
バプテスト系のため、洗礼も受けています。
それが当たり前だからです。
それはきっと私が家族や親戚の法事で集まるのが当たり前だと思っているのと同じだと思います。
お寺さんに来てもらって、お経をあげていただく習わしに異議を唱えるわけでもなく参加する。
彼らも小さい頃からbible(聖書)を与えられ、bible study(聖書のお勉強)を教会や家庭でしてきて、キリスト教を信じることが当たり前。
そして、大きくなればキリスト教の教えである”布教活動”にも一生懸命になる。
何の疑いもなくキリスト教が真実だと思っているようでした。
そしてそれは私を救うことだと信じているようでした。
大好きな人にこそ、クリスチャンになってほしいという気持ち。
私のような宗教観の人間には分からないですが、その思いが悪意でないことは分かりました。
そしてその分、断りづらいという側面もありました。
NOと言えない日本人。。。発動ですね(笑)
アメリカのバプテスト系の教会はライブがあったり、みんなでクリスチャンミュージックというポップスの一種(?)を歌ったりと楽しい時間もあるので、そこまで苦にもなりませんでした。
決してクリスチャンにはならなかったけれど、教会に一緒に行ったり、彼らのことをよく知ることが出来て、それは自分自身の宗教観を見直すことにもつながりました。
宗教観という人の根幹にかかわる話なので、もっと色々あるのですが、今日はここまでにします。
お読みいただき、ありがとうございました。
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